自然共生型対策(NBS)の持続可能な実装を支える資金調達と政策統合:研究者への多角的示唆
自然共生型対策(Nature-based Solutions; NBS)は、気候変動適応策および緩和策として、その有効性と多機能性から国際的に注目を集めております。生態系を活用したこれらのアプローチは、生物多様性の保全、水資源管理、防災・減災、都市の快適性向上など、複数の社会課題に対する包括的な解決策を提示します。しかしながら、NBSの概念的理解が深まる一方で、その具体的な実装、特に持続的な資金調達メカニズムの確立と、多分野にわたる政策への統合は依然として大きな課題として認識されています。
本記事では、環境科学分野の研究員の方々を対象に、NBSの持続可能な実装を可能にするための資金調達戦略と、政策統合の重要性について、学術的視点と実践的視点の双方から深く掘り下げて解説いたします。NBSの研究を推進し、その成果を社会実装へと繋げる上で不可欠な、資金獲得や政策提言に資する多角的な知見を提供することを目指します。
1. NBS実装における資金調達の多様なメカニズム
NBSの導入には初期投資が必要となる一方で、その効果が長期にわたり、かつ多様な形態で発現するため、従来のインフラプロジェクトとは異なる資金調達アプローチが求められます。
1.1. 公共財源と革新的アプローチ
- 政府予算・地方自治体予算: 気候変動適応策や生物多様性保全事業、防災・減災対策の一環として、公共事業予算が投入される事例が多く見られます。特に、グリーンインフラ整備に向けた補助金や交付金制度は、NBSの普及を促進する上で重要な役割を果たしています。
- 生態系サービス決済スキーム(Payments for Ecosystem Services; PES): 生態系サービスを享受する側が、そのサービスを供給する側に資金を支払うメカニズムです。例えば、上流域の森林保全が下流域の水質維持に貢献する場合、下流域の自治体や水利用者から上流域の住民に対して、保全活動への対価が支払われることがあります。コスタリカの森林保全プログラムなどがその代表例として知られています。
- 環境税・賦課金: 特定の環境負荷に応じて課される税金や賦課金をNBSへの投資に充てることで、持続的な資金源を確保する可能性が指摘されています。
1.2. 民間資金の活用とESG投資
近年、NBSへの民間投資の関心が高まっています。
- ESG投資・インパクト投資: 環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の要素を考慮した投資は、企業の持続可能性を評価する上で不可欠な要素となりつつあります。NBSは、気候変動対策、生物多様性保全、地域社会のレジリエンス強化といったESGの複数の側面をカバーするため、ESG投資の対象として大きな可能性を秘めています。
- グリーンボンド・ソーシャルボンド: 環境改善や社会貢献に資するプロジェクトの資金調達を目的とした債券の発行も、NBSへの大規模な民間資金導入を可能にする手段です。国際的なガイドラインに準拠したNBSプロジェクトは、これらのボンド市場において投資家の関心を集めることができます。
- 企業による自社調達・オフセット: 企業のサプライチェーンにおける環境負荷低減や、カーボンニュートラル目標達成のための排出量オフセットとして、NBSへの投資が行われるケースも増加しています。
2. 政策統合によるNBSの推進
NBSは、単一の政策分野で完結するものではなく、気候変動、生物多様性、都市計画、水資源管理、防災、公衆衛生といった多岐にわたる政策領域との連携が不可欠です。
2.1. 分野横断的政策立案の必要性
- 多機能性の認識: NBSが提供する多角的な便益(多機能性)を、それぞれの政策分野において明確に認識し、評価することが重要です。例えば、都市の緑地整備は、ヒートアイランド現象の緩和、生物多様性の向上、住民のウェルビーイング向上に寄与し、これらは気候変動対策、都市計画、公衆衛生といった複数の政策目標に貢献します。
- 統合的計画策定: 国家レベルの適応計画、生物多様性国家戦略、地域総合計画、都市マスタープランなどにおいて、NBSの概念を組み込み、具体的な施策として位置づけることが求められます。例えば、EUの生物多様性戦略や、日本の国土交通省による「グリーンインフラ推進方針」などが、NBSの政策統合を推進する具体的な枠組みとして機能しています。
2.2. 法制度上の位置づけと課題
既存の法制度が、NBSの推進に必ずしも最適化されているとは限りません。例えば、河川改修においては治水機能が優先され、生態系保全や多自然川づくりの視点が十分に反映されないケースがあります。NBSの多機能性を最大限に引き出すためには、関連法の改正や、新たな法的枠組みの構築が検討されるべきです。特に、横断的な政策目標を達成するための法的インセンティブや、異なる省庁・自治体間の連携を促進するメカニズムの導入が重要となります。
3. NBSの社会経済的価値評価と研究の役割
NBSへの投資を正当化し、持続的な資金獲得と政策統合を実現するためには、その社会経済的価値を定量的に評価し、説得力のあるエビデンスを提示することが不可欠です。
3.1. 非市場価値評価手法の適用
NBSが提供する生態系サービスの多くは市場価格を持たないため、非市場価値評価手法の適用が有効です。
- 表明選好法(Stated Preference Methods):
- 仮想評価法(Contingent Valuation Method; CVM): NBSによってもたらされる特定の環境改善に対する支払意思額(Willingness to Pay; WTP)や受入意思額(Willingness to Accept; WTA)をアンケート調査によって直接尋ねる手法です。例えば、河川生態系再生による水質改善や景観向上への住民の支払意思額を評価することができます。
- 選択実験法(Choice Experiment Method; CE): NBSの複数の属性(例:生物多様性の豊かさ、洪水防御機能、レクリエーション機会)とそれらの費用を組み合わせた選択肢を提示し、回答者の選択行動から各属性の相対的な価値や限界支払意思額を推定する手法です。
- 顕示選好法(Revealed Preference Methods):
- ヘドニック価格法(Hedonic Pricing Method): 住宅価格や土地価格が、周辺の環境属性(例:公園からの距離、水辺の有無、緑地の広さ)によって影響を受けることを利用し、これらの環境属性の価値を間接的に評価する手法です。都市域におけるNBSの価値評価に特に有用です。
- トラベルコスト法(Travel Cost Method; TCM): 自然地域への訪問者がその地域を訪れるために費やす交通費や時間費用から、レクリエーション価値などの利用価値を推定する手法です。
これらの手法を適切に適用し、NBSがもたらす便益を貨幣価値に換算することで、政策決定者や投資家に対して、NBSへの投資が費用対効果の高い選択肢であることを示す強力な根拠を提示できます。例えば、TEEB(The Economics of Ecosystems and Biodiversity)プロジェクトは、生態系サービスの経済的価値評価の重要性を国際的に提示しました。
3.2. 共同便益(Co-benefits)の定量化とコミュニケーション
NBSは、気候変動適応・緩和という主たる目的以外にも、生物多様性保全、水質浄化、大気質改善、レクリエーション機会の提供、文化価値の創出、雇用創出など、多様な共同便益をもたらします。これらの共同便益を多角的に評価し、ステークホルダーに対して効果的にコミュニケーションすることが、NBSへの理解を深め、資金獲得や政策支持を得る上で極めて重要です。研究者は、これらの共同便益を定量化するための指標開発や、多目的評価フレームワークの構築に貢献することができます。
4. 国内外の成功事例と課題
NBSの資金調達と政策統合に関しては、国内外で様々な試みが行われています。
- 海外事例:
- ニューヨーク市 watershed protection program: 飲料水源涵養域の森林保全に投資することで、新たな浄水施設の建設費用を大幅に削減した事例は、NBSの経済的合理性を示す古典的な成功例です。市債の発行と流域住民へのPESプログラムの導入により、年間数百万ドルの節約を実現しました。
- EUのグリーンインフラ戦略: EUは、生態系サービスの維持・向上を目的としたグリーンインフラの推進を、生物多様性戦略の一部として位置づけ、欧州構造投資基金(ESIF)などの公共資金を通じてNBSへの投資を奨励しています。
- 国内事例:
- 「流域治水」へのNBSの組み込み: 近年の豪雨災害を受け、国は流域全体の水災害対策として「流域治水」を推進しており、その中で貯留機能を持つ田んぼダムや遊水地の活用、森林・里山保全といったNBS的なアプローチが政策的に評価され始めています。公共事業の予算において、これらの多機能性が考慮される方向性が見られます。
- 企業による森林づくり活動: 企業のCSR(企業の社会的責任)活動の一環として、水源林の保全や地域住民との協働による森林整備が行われる事例も増えており、NBSへの民間資金投入の多様な形態を示唆しています。
これらの事例は、NBSの長期的な便益を認識し、異分野間の連携と革新的な資金調達手法を組み合わせることで、持続可能な実装が可能であることを示しています。一方で、効果の定量評価の難しさ、複数の機関にまたがる調整の複雑さ、長期的なモニタリング体制の構築などが課題として挙げられます。
5. 研究者への実践的示唆と将来展望
NBSの持続可能な実装に向けた研究は、多岐にわたる分野の知見を統合し、政策決定者や投資家への具体的な示唆を提供することが求められます。
5.1. 学際的研究の推進と共同提案の重要性
生態学、水文学、都市計画、社会科学、経済学など、多様な専門分野の研究者が連携し、NBSがもたらす複雑な効果を総合的に評価するアプローチが不可欠です。共同研究提案書の作成においては、NBSの多機能性を明確に定義し、各分野の専門性がどのように相互作用し、総体としての価値を最大化するかを示すことが、競争的研究資金獲得の鍵となります。
5.2. 評価指標の標準化と長期モニタリングの必要性
NBSの価値を客観的に示すためには、国際的に通用する評価指標の標準化が喫緊の課題です。また、NBSの効果は長期にわたって発現し、時間とともに変化する可能性があるため、実装後の長期的なモニタリングと評価体制の構築が研究テーマとして重要です。リモートセンシング、GIS、AI・機械学習を用いたデータ解析は、効率的かつ広範囲なモニタリングを可能にし、NBSの効果を継続的に評価する上で不可欠なツールとなります。これらの技術を活用したモニタリング手法の開発は、新たな研究資金獲得の機会にも繋がります。
5.3. 政策決定プロセスへの科学的知見の貢献
研究成果を政策提言へと繋げるためには、学術論文発表だけでなく、政策ブリーフやワークショップを通じて、研究結果を政策決定者や実務家に対して分かりやすく伝える能力が求められます。NBSの多機能性と費用対効果に関する科学的エビデンスは、政策の優先順位付けや、新たな予算配分の議論において重要な役割を果たします。IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学‐政策プラットフォーム)のような科学と政策の連携プラットフォームへの参加や、関連する国際会議での発表も、自身の研究成果を世界に発信し、政策形成に貢献する有効な手段です。
まとめ
自然共生型対策(NBS)の持続可能な実装は、気候変動と生物多様性という地球規模の課題に対処するための不可欠なアプローチです。そのためには、多様な資金調達メカニズムを開発・適用し、既存の政策枠組みにNBSの視点を統合することが極めて重要となります。
環境科学分野の研究者の方々には、NBSの生態学的・社会経済的効果を高度に評価する学術的研究に加え、その成果を資金調達や政策立案の現場へと繋げるための実践的な視点が求められます。学際的な連携を強化し、革新的な評価手法やモニタリング技術を開発することで、NBSの社会実装を加速させ、持続可能な社会の実現に貢献できると期待されます。